10. 宗教と国家
資料確定:2025-12-09 09:55
宗教と国家の関係、宗教とナショナリズムの関係について学ぶ。
10.1. 政治的権力としての国家と宗教の関係
政教関係(村上興匡「政教一致」「政教分離」『現代宗教事典』)
政教一致
政治的権力と宗教的権威が一致していること、もしくは一致すべきであるとの主張。
典型例:ヴァチカン市国(カトリックの総本山)
イスラームを国教としていた国々は、19世紀以降、 欧州の近代的な法制度を取り入れたが、そのほかにクルアーンにもとづく宗教法であるシャリーアが並存している。
シャリーアは、 宗教儀礼の規定 (イバーダート) のみならず、 民法、刑法、公法、国際法にわたる法的規定 (ムアーマラート) を含む。
信仰共同体(ウンマ)の秩序を維持するために、シャリーアの一部は実定法として強制されることになるので、程度の差はあれ政教が一致した状態となっている。
特に、20世紀後半のイスラーム復興運動では、シャリーアを国内法として実際に運用することが求められた。
政治権力の正当性が、宗教的なるものによって保証される事例は歴史的に多々みられる(例:ヨーロッパの王権神授説)。
国民の多数が信仰する特定の教会に、国家が特権的な地位を認める場合もしばしばみられた。
宗教は良心や道徳倫理の源泉であって、 公益的性格をもつものであり、社会的秩序を維持するという観点から政治と宗教を分離させるべきでないとの主張がある。
政教分離
政治と宗教を分離すること、およびすべきであるとの規定。
具体的には国家と教会 (宗教団体)の分離として規定される。
封建時代に国家と特定教会が結びついて宗教弾圧や宗教戦争が行われた歴史的教訓から、 欧州近代法の流れを汲む法制度をもつ国では、一般にこの規定を制度に取り込んでいる。
国が宗教にかかわることを禁止する度合いは異なる。
国家が特定教会の特権的地位を認める、妥協的なもの
ドイツ、イタリア:政教条約 (コンコルダート)を結んでいる。
イギリス:国教をもつ。
厳密な意味での政教分離
フランス:
政教分離法 (教会と国家の分離に関する1905年9月法律)によって国家の非宗教性 (ライシテ)を明確に規定する。
非友好的政教分離制度:公的な領域から徹底的に宗教的なものを排除する。
(例)ムスリムの女生徒が宗教上の理由からスカーフをして公立学校に来ることが繰り返し問題とされ、結果、2004 年3月にはそれを禁止する法律が制定された。:スカーフ問題
アメリカ:
国教樹立を禁止した合衆国憲法修正1条をもつ。
友好的政教分離制度
(例1)大統領の就任宣誓に聖書が用いられる。
(例2)公立学校などにチャプレンの制度が認められている。
日本:「8. 神道教派と新宗教#6924e3a80000000000e58520」も参照。
日本国憲法での規定:
宗教団体が国から特権を受けて政治権力を行使することの禁止 (20条1項後段)
国およびその機関による宗教教育をはじめとする宗教活動の禁止 (20条3項)
宗教団体への公金その他公の財産提供の禁止 (89条後段)
憲法20条は信教の自由を規定する条項であり、それを制度的に保障することを目的として政教分離の規定がなされている。
政教分離の規定が定められた背景には、戦前の神社神道が宗教でないとされて国教的な扱いを受け、 結果信教の自由が制限された戦前の経験の反省がある。
日本では政府や地方自治体による地鎮祭や慰霊祭などの宗教的儀礼に対する公金もしくは公的便宜の提供が、 政教分離規定の違反として争われることが多い。
津地鎮祭訴訟の最高裁判決(1977年)では、初めて 「目的効果基準」という考え方が示され、その後の政教分離訴訟において先例とされた。
目的効果基準:
国と宗教がまったく関係をもたないことは事実上不可能であるという前提から、国およびその機関と宗教とがかかわりをもった場合、その目的および効果について判定される。
国が行った行為が、 社会的・文化的条件に照らして相当とされる限度を超えて、その目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長促進または圧迫、干渉となるものである場合、これを違反と判定する。
10.2. 宗教とナショナリズム
10.2.1. 国民と国民国家
nation(英語)
日本語だと…大きく3種の訳語。nationの意味もこの3つにまたがっている。
「国民」
「国家」
「民族」
国民国家
nation state
「近代国家」という概念が意味するのと同じ対象を、国民統合という側面を重視して観察する場合の概念(西川正雄「国民国家」『角川世界史辞典』)。
「帝国」と「国民国家」の対比(分析概念として)(西川「国民国家」)
帝国
①広大な版図を持つ。
② 歴史的体験 ・ 言語・宗教などを異にする多様な集団が平等の資格ではないにせよ共存する。
③ 中央政府の支配は間接的である。
④ 地方はかなりの自治を有する。
例:古代ローマ、中国諸王朝・オスマン朝・ハプスブルク朝の支配下にあった国家。
国民国家
① 明確にして連続的な境のある領土を有する。
②程度の差こそあれ中央集権的な支配が行われる。
③国家組織が教会や職能団体など他の組織と区別される。
④ 政府が物理的強制手段(軍隊・警察など)を独占する。
10.2.2. ナショナリズム
ナショナリズム
ナショナリズムの「古典的で原型的な意味合いは、近代西欧における「国民国家」の成立に伴って表現された政治的統合のためのイデオロギーである(中野毅「宗教的ナショナリズム」『現代宗教事典』)。
小沢弘明「ナショナリズム」(『角川世界史辞典』)
ナショナリズム nationalism [英]
国民(ネーション)を政治・経済・文化の主体と考え、そこに至上の価値を置く思想と運動の総体。
国民社会ないし国民国家の形成・純化・拡大を主張する。
日本語では、時代・地域・状況による性格の違いがあると考え、国民主義・民族主義・国家主義と訳し分けてきた。
理念的には、国民は自由・平等な個人が友愛を基礎に構成する普遍主義的共同体を意味し、あ らゆる身分的・社団的中間団体を排除して、権利主体としての独立した個人が国家と直接に向き合うという共和制と結合した近代的概念とされる。
ナショナリズムは、帝国的編成の国家に対抗する運動として、18世紀末から、ヨーロッパやアメリカ大陸における国民国家形成を支え、 国民国家の制度化・普遍化と脱植民地化に伴って、20世紀には世界規模に拡大した。
同時に、ナショナリズムは特定の領域・空間を前提とする国民(ネーション)を基礎とするため、階級差を超えた垂直的統合、地域差を超えた水平的統合を行い, 政治・経済・文化の均質化を目的とする。
対外的には、他の国民との差異と自らの優位性を強調するため、常に排外的・膨張的性格を帯びる。
「ナショナリズム」(中野毅「宗教的ナショナリズム」)
ハンス・コーン(Kohn, Hans)
20世紀は「全世界がナショナリズムと自由の覚醒」に反応しているユニークな時代である。
その「ナショナリズムとは、個人の最高の忠誠心が国民国家に帰さなければならないと感じられるような心的状態である。」
このような近代的ナショナリズムは、国家の構成員を宗教や民族、言語ではなく、国家そのものへの忠誠と帰属意識によって一つの「国民」へと統合していく。
したがって、この国家は特定の宗教を国教とせず、政教分離を理想とする世俗国家である点に特徴がある。
これらのことから、近代的ナショナリズムは「世俗的」と評することができる。
ナショナリズムの特徴(粟津賢太「ナショナリズムと宗教」櫻井・平藤編『よくわかる宗教学』)
1. 近代性:歴史的にみて、きわめて近代的な理念である。
2. 定義の難しさ
3. その情緒的で不寛容な性質、あるいは原初的な性質
その根本には、ヘブライの3つの伝統がある。
選ばれた民というアイディア
過去と未来の希望についての共通の記憶
民族的なメシアニズム
ベネディクト・アンダーソン(Anderson, Benedict R. O. )
『想像の共同体』(住家正芳「『想像の共同体』」『現代宗教事典』)
国民(nation)とは、「イメージとして心に描かれた想像の政治的共同体」である。
国民は、実体として存在するのではなく、イメージとして人々の心の中に想像されたものである。
国民を想像することが可能になったのは、古くから同胞愛・権力・時間を結びつけてひとつの意味を持つものにしていた「宗教共同体」「王国」「メシア的時間」という3つの文化概念が人々の精神を支配できなくなったことが原因である。
これらの文化概念に変わって、上記の三者を意味あるものとして結びつけたのがナショナリズムである。
その過程を促進したのは、出版資本主義である。
10.2.3. 宗教的ナショナリズム
しかし、1970年代以降、宗教が既存の国家や政治への批判を強め、それぞれの伝統的宗教的理念に回帰しつつ政治社会体制の再構築を模索し始めた(中野「宗教的ナショナリズム」)。
この状況に対する評価
「宗教の復讐」(ケペル)
「文明の衝突か」(ハンチントン[Huntington, Samuel P.])
「世俗的ナショナリスト」に対する「宗教的ナショナリスト」の反抗(ユルゲンスマイヤー)
これらの運動は、世俗的な国民国家に内在する近代西欧的な宗教文化的価値に対する批判を通して、国民国家の基盤を自らの宗教的伝統に則して再構築しようとする、宗教的政治運動という性格を強く帯びている。
マーク・ユルゲンスマイヤー[Juergensmeyer, Mark]
世俗的ナショナリズム/宗教的ナショナリズム
近代国民国家を前提として主張されたナショナリズムは「世俗的」ナショナリズムである。
それは、西洋近代に固有な価値を前提とした「一つの宗教」であり、「信仰」である。
世界各地で現在頻発している宗教的民族的対立は、「世俗的ナショナリズム」に対する「宗教的ナショナリズム」の反抗として捉えられる(前掲)。
宗教的ナショナリズムは、世俗的政府を否定し、しばしば暴力的に、宗教的なレトリック、イデオロギー、リーダーシップで実行される(岡市仁志「『ナショナリズムの世俗性と宗教性』」『現代宗教事典』)。
宗教と暴力が結びつく関係性
「宗教が聖典に描かれた「コスミック戦争」というイメージを提供し、殺害や暴力行為に道義的正当性を与える可能性があり、一定の政治的社会的またイデオロギー的特殊状況においては過激な暴力行為を引き起こす…」(中野毅「ユルゲンスマイヤー」)
10.2.4. 「宗教的ナショナリズム」に関わる具体例
イラン・イスラム革命(八尾師誠「イラン・イスラム革命」『角川世界史辞典』)
1979年の首都テヘランでの権力奪取を頂点とする大規模な政治変動。
この変動によって、パフラヴィー朝体制が崩壊し、イスラム共和国が成立した。
それまでイランは一貫して西欧化路線を追求し続けていた。
70年代からは、莫大な石油収入を背景に驚異的な経済成長を遂げた。
しかし、同時に貧富の格差の増大などの社会的矛盾を生み出した。
ホメイニーを指導者とする革命勢力は、国王(シャー)の政治的独裁を批判し、イスラムを基調とする新たな国家体制の樹立と社会秩序の確立を主張した。
(より詳しくは、八尾師「イラン革命」『岩波イスラーム辞典』などを参照のこと)
革命の背景・原因をめぐっては諸説がある(八尾師「イラン革命」)。
“早すぎた近代化"論:“早すぎた近代化"が、イラン社会の実状を無視し、結果的に社会不安や失業者の増大を引起すこととなった。
“歪んだ近代化” 論:基本的人権や政治的自由の保障、あるいは経済発展の恩恵の平等な享受などを犠牲にした国王による強権政治の問題点を重視する。
シーア派イスラームそのものの革命性・反体制的性格を強調する立場 など、さまざま。
ホメイニーによる教義「法学者の統治」(八尾師「法学者の統治」)
〈王政は非イスラーム的であり、植民地主義者や抑圧から解放された敬虔で有徳な人間を育てる社会を創るには、イスラーム法を施行し、公正なるイスラーム法学者が指導監督する政府を、革命によって創る必要がある〉…
ユーゴスラビアの分裂
(参考)高校世界史との接続
露土(ロシア-トルコ)戦争
ベルリン条約(1878年):
オスマン帝国から、セルビア、モンテネグロ、ルーマニアが独立することを承認。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、オーストリア・ハンガリー帝国の管理下となる。
オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合(1908年)。
第一次バルカン戦争:
オスマン帝国敗北(vs.バルカン同盟〔ブルガリア、セルビア、モンテネグロ、ギリシア〕)
第二次バルカン戦争:
ブルガリア敗北
第一次世界大戦
オーストリアがセルビアに宣戦。
サンジェルマン条約(1919年9月)
オーストリア・ハンガリー帝国の解体→セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国の独立(ヘルツェゴビナはその一部となった)。
トリアノン条約(1920年6月)
ハンガリーが、セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国に対して、クロアティア・ボスニアを割譲した。
ユーゴスラヴィア:(柴宜弘「ユーゴスラビア」『角川世界史辞典』)
1918年、セルビア王国,ツルナゴーラ王国およびハプスブルク帝国内の南スラヴ地域からなるセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国として建国された。
1929年、ユーゴスラヴィア王国と改称された。
1945年、ティトーを首班とする連立政権が成立し、同年末には、ユーゴスラヴィア連邦人民共和国が形成された。
1948年にコミンフォルムから追放されたあと,自主管理と非同盟主義を2本柱とする「独自の社会主義」を進めた。
1963年、ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国と改称した。
1980年にティトーが死去し,経済危機が深刻化するなかで,共和国間対立・民族間対立が顕在化して解体の道を歩んだ。
マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア(ボイボディナ、コソボの2自治州を含む)の6共和国からなる連邦制をとっていた(漆原和子「ユーゴスラビア」『日本大百科全書』)。
1991年、クロアティア、スロベニア、独立宣言
1991年、マケドニア、独立宣言(2019年2月、北マケドニア共和国に国名変更)
ボスニア=ヘルツェゴビナ戦争
1992年、ボスニア=ヘルツェゴビナが独立宣言
1995年、和平協定。
1992年、新ユーゴスラビア連邦を創設
1998年2月~1999年6月、コソヴォ紛争
2003年2月公布の新憲法にもとづき、新ユーゴスラビア連邦から国家連合「セルビア・モンテネグロ」に名称変更。
2006年6月、モンテネグロ独立。セルビア共和国に。
2008年2月、(セルビアの)コソヴォ自治州議会が独立宣言。コソヴォ共和国に。
コソヴォ(コソボ)の最新情報の例:国連広報センター
旧ユーゴ諸国の民族構成
セルビア:
セルビア人 82.9、
ハンガリー人 3.9、
ボシュニャク人 1.8、
クロアチア人、モンテネグロ人、アルバニア人
クロアティア:
クロアチア人 89.6,
セルビア人 4.5,
ボシュニャク人、イタリア人、ハンガリー人
スロベニア:
スロベニア人 83.1、
セルビア人 2.0、
クロアチア人 1.8、
ボシュニャク人 1.1
北マケドニア
マケドニア人 64.2、
アルバニア人 25.2 、
トルコ人 3.9、
ロマ人 2.7、
セルビア人 1.8、
ボシュニャク人 0.8
モンテネグロ
モンテネグロ人 43.2、
セルビア人 32.0、
ボシュニャク人 7.8、
アルバニア人 5.0、
ムスリム人 4.0、
クロアチア人 1.1、
ロマ人 0.4
コソボ
アルバニア人 92.0、
セルビア人 5.3、
ロマ人 1.1、
トルコ人 0.4
『データブック オブ・ザ・ワールド』2021(二宮書店、2021年)より作成。
table: 旧ユーゴ諸国の宗教人口
セルビア セルビア正教 85.5, カトリック 5.5, イスラム教 3.2, プロテスタント 1.1
クロアティア カトリック 87.8, 東方正教 4.4, イスラム教 1.3
スロベニア カトリック 57.8, イスラム教 2.4, 正教 2.3,
北マケドニア マケドニア正教 64.8, イスラム教 33.3
モンテネグロ 正教(マケドニア正教中心) 74.2, イスラム教 17.7, カトリック 3.5
コソボ イスラム教 91.0, セルビア正教 5.5, カトリック 3.0, プロテスタント 0.5
*『データブック オブ・ザ・ワールド』2021(二宮書店、2021年)より作成。
↓整理すると
table: 旧ユーゴ諸国の宗教人口
正教 カトリック プロテスタント イスラム教
セルビア 85.5 (セルビア正教) 5.5 1.1 3.2
クロアティア 4.4 87.8 1.3
スロベニア 2.3 57.8 2.4
北マケドニア 64.8 (マケドニア正教) 33.3
モンテネグロ 74.2(主にマケドニア正教) 3.5 17.7
コソボ 5.5 (セルビア正教) 3.0 0.5 91.1
アフガニスタン内戦
ターリバーン(特記のないものは、遠藤義雄「ターリバーン」『岩波イスラーム辞典』による)
アフガン内戦のなかで救国を旗印にして台頭した、イスラーム神学生中心の武装した宗教政治勢力。
スンニー派であるパシュトゥーン人を中心に形成された、イスラーム主義を掲げる政治組織(臼杵陽「タリバン」『現代宗教事典』)。
首都カーブルが旧ムジャーヒディーン[アフガニスタンでイスラーム防衛に立ち上がった武装ゲリラの名称]の権力抗争で破壊され、地方の群雄割拠化が深まった1994年後半に内戦に参画した。
1996年に首都を制圧してアフガニスタンの北東部を除く領域を支配下に収めた。
地方の軍閥となっていた地方領袖を排除した。
国内の法と秩序の回復に、スンナ派のイスラーム法を適用して懲罰刑を執行する。
(2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが発生した。)
ウサーマ・ビン・ラーディン(同時多発テロを指導したとされた)を秘匿したために、アメリカはアフガニスタンを「テロ支援国家」と名指しして、2001年10月に空爆を行った。
2001年末にターリバーン政権は崩壊した。
2021年8月、米駐留部隊がアフガニスタンから撤収(完全撤退)した。
2025-12-09 はここまで。
ヒンドゥー教とナショナリズム(広瀬奈子「ヒンドゥー至上主義運動」『世界民族問題事典』ほか)
〔独立前〕
イギリス支配下のインドで19世紀後半から、ヒンドゥーとムスリム双方の間で自らの集団の強化をめざす運動が起こった。
それぞれが復古主義派、改革・近代化派に大きく分かれていた。
そのうちヒンドゥーの復古主義に属するグループがヒンドゥー至上主義運動の担い手となった。
ヒンドゥー復古主義(内藤雅雄「ヒンドゥー復古主義」『角川世界史辞典』)
近代インドの社会改革のためにヒンドゥー教的価値基準を最重要視しようとする思想傾向。
植民地下の19世紀後半に始まる宗教・社会改革運動において,アーリヤ・サマージや神智学協会などがインド社会の再生・復興の道は古典のヒンドゥー教の伝統への回帰であると説いた。
1875年にボンベイで設立されたアーリヤ・サマージ Arya Samaj は〈ヴェーダに帰れ〉をスローガンに,偶像崇拝、カースト差別,女性差別などに反対するといったヒンドゥ一社会の改革を掲げたが、同時にインドの古代文化への信頼を説く復古的側面をもっていた。
また1897年にヴィヴェーカーナンダが設立した〈ラーマクリシュナ・ミッション〉 はインドの文化、思想の偉大さを世界にアピールした。
これらの運動はインドの古典思想の偉大さを再確認させ、その後インドの民族運動に多大な影響を及ぼしたが、それがヒンドゥー教に基づく思想であったために、キリスト教やイスラームなどの〈外来〉の宗教に対する優越性を主張する運動へとつながっていく。
ヒンドゥー教への再改宗(シュッディ)運動などはその例である。
20世紀に入ると、改革・近代化を主義としていたインド国民会議派の中にもティラク Bal Gangadhar Tilak(1856-1920)らのヒンドゥー復古主義者が現れる。
さらに1915年にはヒンドゥー・マハーサバーが、次いで25年には20世紀最大のヒンドゥー勢力となる民族奉仕団(RSS)が設立される。
内藤雅雄「民族奉仕団」(『角川世界史辞典』)
インドのヒンドゥー至上主義的大衆組織。
1925年にK.B.ヘドゲーワールが創設。
ヒンドゥー教徒が共有すべき民族意識の形成と相互の紐帯の強化を重視する。
〔独立後〕
インドの独立はパキスタンとの分離独立という苦痛を伴い、ムスリム国家パキスタンが誕生したにもかかわらず、インドには多数のムスリムが残った。
初代首相ネルーは世俗国家インドの建設をめざし、ムスリムなどのマイノリティの保護を主張した。
ヒンドゥー至上主義者たちはムスリムの愛国心に疑いをもち、彼らを〈二級市民〉とみなす傾向が強かった。
ネルー以後の指導者は党利党略のためにしだいに宗教を政治に利用するようになった。
イスラーム原理主義がしだいにインドにも浸透し、とくにムスリム多住州であるカシュミールで分離独立運動が起こった(カシュミール問題)。
このような情勢を背景に,政治家によってあおられたヒンドゥー勢力は80年代以降、アヨーディヤーなどでのヒンドゥー寺院再建問題をめぐって全国的なヒンドゥー至上主義運動を展開することになった。
アヨーディヤーをめぐる問題(小谷汪之「アヨーディヤー問題」『角川世界史辞典』)
アヨーディヤー(インド,ウッタル・プラデーシュ州)にあった「バーブルのモスク」をめぐって、19世紀中葉から現代まで続く紛争。
アヨーディヤーは古代叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマの誕生地とされ、ヒンドゥーの大聖地である。
1528-29年、ムガル帝国初代皇帝バーブルの部将がここにモスクを建設した。
このモスクをめぐって、19世紀中頃からヒンドゥー、ムスリムの対立が表面化した。
20世紀コミュナリズム(宗派対立)の激化とともに、その象徴的な中心となった。
インド・パキスタン分離独立後,ヒンドゥー側は,「バーブルのモスク」への攻撃を強めた。
1980年代に入って、インド人民党が有力化してくると、攻撃は暴力的なかたちを取り始めた。
1992年12月6日,数千人のヒンドゥーが「バーブルのモスク」を完全に破壊してしまった[アヨーディヤー事件]。
この事件の余波は現在に至るまでやんではいない[その後については「[アヨーディヤー事件」参照。
モディ政権【2023】
2014年4~5月インド総選挙で歴史的大勝、政権交代を実現し成立した。ナレンドラ・モディ首相およびインド人民党(BJP)は、雇用創出、効率的でクリーンな政府を公約に掲げ、10年ぶりに政権の座に復帰。15年以降、外資規制の緩和、企業の倒産手続きの円滑化を図る破産法の制定、高額紙幣廃貨、税制改革などに取り組み、インド経済に安定と順調な成長をもたらした。19年5月の総選挙でも過半数を獲得、政権維持に成功した。21年に入り、新型コロナウイルス感染症への対応の遅れから、感染爆発と医療崩壊を招き、その支持率は低下傾向にある。また、22年にはBJP報道官によるイスラム侮辱発言や、ニューデリーなどでのイスラム教徒の住居破壊といったBJPのヒンドゥー至上主義の具現ともとれる事件が相次いで発生している。